語る者ではなく、語られる話こそ

知ったかぶりで生き延びるための劣等生的知性論

サイトコンセプト

ここはたんなる「書評ブログ」ではない。(と言いたいところだが、たぶんただの書評ブログである)

知的であろうとして空回りし続ける人間の生存記録である。

ひとつ質問。あなた今、生きづらくはないか?

「なぜあの人は理不尽なのか」

「なぜ自分は満たされないのか」

「この社会システムはどこかおかしいのではないか」

その違和感の正体は、精神分析や経済思想を使えば、わりと言語化できる。

できるのだが、言語化したところで人間関係は改善しないし、家賃も安くならない。それでも知は武器になる、と信じたいので、このブログは続く。

筆者はかつて大学で安部公房を研究し、「わかりやすい言葉に飛びついた瞬間、人間は個性を失い量産型になる」という理屈にいたく感動した。

以来、複雑なことを複雑なまま語ろうと心がけている。その結果どうなったか。

友人からは「話が長い」と言われ、妻には「何言ってるかわからん!」と叱られる。

それでも私は思考をやめない。やめられないというのが正しい。

繰り返すが、このブログ『語る者ではなく、語られる話こそ』は、知的であろうとして空回りし続ける人間の生存記録である。

ちなみに、正直に言うと筆者もわかりやすいものが大好きだ。

三行でまとめられた要約記事も読むし、YouTubeのショート動画も毎日見る。ワンフレーズのキャッチコピーにはまんまと心を掴まれる。

ただ、それだけでは終われない性分らしく、気づけば安部公房を読み、岸田秀を読み、その他論文や思想書を読み散らしては「そういうことか」と一人でうなずいている。傍から見ればただの面倒くさい人間である。

それでもいい。複雑な現実を、複雑なまま面倒くさく引き受けようとする人間が一人くらいいたっていいはずだ。

ここにあるのは、思考のための武器というより、思考をやめられない人間の言い訳集である。読んでいただければ、あなたの武器にもなるかもしれないし、ならないかもしれない。

あなたの人生など筆者の知ったことではないのである。あしからず!

それでも、あなたの日常に潜む「退屈」というゾンビを少しでも打ち倒せたら望外のよろこびである。

新着記事